子どもとのコミュニケーションで、デクが徹底していること
こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。
私は、学校の教員として
10年以上の経験があります。
その上で、生徒とかかわる上で、
大切にしている意識を、
改めて、まとめてみたいと思いました。
学校という場所にかかわらず、
特に子どもと
コミュニケーションをとる時の
参考になればいいと思います。
目次
現時点の最重要意識は「リスペクト」
教育という仕事に携わって、
私が最も大事にしている意識は「リスペクト」です。
リスペクトとは、
訳すと「尊敬」という意味が一般的です。
ただ、私が使うリスペクトは
「尊敬」というよりも、
少し柔軟なイメージです。
ですから、英語のrespect ではなく、
カタカナのリスペクトで表すようにしています。
(日本語って便利ですね笑)
意味としては、
尊重、敬意、というのが、
しっくりくると思います。
このリスペクトについて、
腑に落ちた表現をしてくれているのが、
水島広子さん著の
「自己肯定感持っていますか?」
という本です。
そこには、
「優れている」という条件のもとに
「尊敬している」という感覚を持つものを、
本書では「条件つきのリスペクト」と呼んでおきましょう。
一方、「〇〇が優れているから」という条件なしに、
まさに無条件で、
その人の存在に対して、
感じることができる「リスペクト」があります。
という文章があります。
つまり、
この無条件のリスペクトこそ、
私が教育の場で一番大切にしている意識です。
実際どうするの?
無条件のリスペクトは、
意識や考えにあたります。
では、実際に行動にうつすと、
どうなるでしょうか。
一言でいうと、
「評価しない」
ということです。
うん?先生なのに、
評価しなくていいの?
不思議な感じがする人も
いるかもしれませんね。
どのようなことか、
会話を例にして書いてみます。
リスペクトなしと、
リスペクトありをそれぞれ書いたので、
比較をしてみてください。
場面は、生徒が宿題を忘れて、
先生に伝える場面です。
S(Student)→生徒 T(Teacher)→私 です。
リスペクトがない場合
- S 「先生、宿題忘れてきました。」
- T「だめじゃないか。なんで出せないの?」
- S「いや、昨日書いてきたんですけど,家に置いてきちゃって、、」
- T「いつ出すの?」
- S「明日出します。」
- T「明日じゃなくて、明日の朝、だよ。絶対にね」
こんな感じかなと思います。
解説すると、
2と6の部分が評価の入った会話になります。
忘れた⇒だめ
という考えから、
「だめじゃないか」と
頭ごなしド直球言葉を発しています。
これでは、
繊細な子、
または、
忘れて正直に伝えた子には、
次、同じ状況になったとき、
忘れたことを、
伝えることもしなくなるでしょう。
黙っていればいい、
ばれなきゃいい、
という行動パターンの強化にもなり、
私個人としては、
あまりいいとは言えないです。
少し余談です。
不思議で、
このような会話のケースって、
宿題を持ってくるのを
忘れたのではなく、
そもそも宿題を
やってこないことが多いと感じています。
上記のように言う生徒の多くは、
たとえ忘れたと伝えても、
何食わぬ顔で、
授業と授業の間の時間に書いたり、
授業中に宿題をしていることがあります。
「あれっ、
さっき忘れたっていっていたのに、
持ってるのか!」
と驚くこともありました。
つまり、宿題をしなかった口実として、
忘れたと言っていることが多いです。
本当に忘れた子は、
なんとなくわかります笑
申し出る雰囲気で感じます。
上手く言葉に表せないのですが、、
これは私の経験のことなので、
話半分で聞いてもらえたらと思います。
話それましたね。ごめんなさい^^;
リスペクトありの場合
では、
リスペクトありは、
どのようなかかわり方になるでしょうか。
書きました。
- S「先生、宿題忘れてきました。」
- T「そっかぁ」(少し間をおく。顔を見る。)
- T「いつ出す?」
- S「明日、出します。」
- T「わかった。」
このような感じです。
解説すると、
2と3で、宿題を忘れたことを
その場で評価していません。
それが、「そっかぁ」に表れています。
忘れてしまったこと、
つまり今日出せない事実を受け止め、
いつ出すかについて、
生徒に決めてもらう、
という流れです。
私の宿題を忘れた生徒への対応は
ほぼこれです。
この評価をしない背景には、
人にはそれぞれに事情がある。
ということがあります。
忘れた、という一言には、
思春期の子どもの中で、
表現しきれない様々な事情が
あるのかなぁと想像しています。
そのように思うと、
子どもと接するのが、
少し柔らかくなっていきます。
上記の対応を受けた、
生徒の中には、
明日ではなく、
その日の放課後のうちに、
提出することもあります。
- S「忘れたと思ったら、やっぱり持ってました~。」
- T「お~。そっかそっか良かったぁ。ありがとう!」
というように。
このように、
評価しないというのは、
良い悪いの判断基準を手放して、
かかわっているということです。
今回のまとめです
まとめますね。
私が現場でもっとも大事にしている意識は、
「リスペクト」です。
これは、良い悪いの条件を付けるのでなく、
評価を手放して生徒とかかわる、
ということです。
子どもには子どもの事情があることを少し考えるだけで、
コミュニケーションに変化が出てきますよ。
ということです。
実際、学校の現場は
考えてみると、
評価の場面が、
すごく多いように感じています。
生徒もそのような評価を
ずっとされてしまうと
評価に敏感になってしまいます。
それが本当に生徒にとっていいことなのでしょうか?
少なくとも、評価の状況を仕分けし、
評価がいらないときは、
このリスペクトの意識を活用するだけで、
生徒とのかかわり方はかわります。
何より、
生徒のリアクションも変わっていきます。
今後、機会があれば、
リスペクトを大事にしたことで、
起きた変化も
かけたらいいなと思います。
※追記 記事を書きましたのでこちらもどうぞ
今回はコミュニケーションにかかわる内容でしたが、
関連している記事は他にもあります。
よかったらご覧ください。