絵本『大きな木』を旧訳と新訳で比べてみました

こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。

 

みなさん、絵本は読みますか?

 

絵本というと、
子供向けという印象が先行するかもしれません。

 

 

内容はわかりやすいものが多く、
そんな印象はありますよね。

 

 

ただ、
昔から読まれていて、
今でも読まれている絵本は、
大人が読んでも味わいが深いものが
あったりします。

 

 

味わいがあるから、
自分の子供にも読ませてあげよう
という気持ちにもなると思います。

 

 

私は、
気分転換に絵本を読んでいたのですが、
考えるスイッチが入ってしまいました(笑)

 

 

今日は絵本を読んで、
考えたことを書いていきます。

 

 

目次

本の紹介 『大きな木』

 

 

今回読んだのは、
『大きな木』という本です。

 

 

著者について

著者はシェル・シルヴァスタインさん
アメリカの方です。
詳しくはこちらをご覧ください。

 

シェル・シルヴァスタインさん

 

 

翻訳者について

 

翻訳は旧訳と新訳があります。

 

旧訳は本田錦一郎さん

旧訳↓

おおきな木

 

新訳は作家の村上春樹さん

新訳↓

おおきな木

 

 

どうして、
旧訳の方と新訳の方を紹介したかというと、
私はどちらの本も持っているからです。

 

 

2冊持った経緯

 

 

2冊持つようになったのは、
道徳の授業づくりのネタとしてです。

 

旧訳と新訳を紹介し、
その違いをもとに、
授業を展開したら
面白いのではないか?

 

という所からでした。

 

 

当時は、その想いだけで、
本を購入したのですが、
そこからの授業づくりは、
実際はできませんでした。

 

 

あらすじ

 

本のおおまかなあらすじを紹介します。

文章よりも朗読が良い方はこちらをどうぞ
(音声のみ 約8分です)

 

《村上春樹訳》感動の名作絵本『おおきな木』無償の愛とは何か – YouTube

 

(あらすじ)
登場するのは、
一人の少年と一本のりんごの木です。

 

少年はりんごの木が大好きで、
小さい頃はずっと一緒にいました。
木もそんな少年が大好きでした。

 

しかし、時が経つと、
少年は少しずつ木との距離が離れます。
一緒に過ごす機会もなくなっていきました。

 

 

木はどんなに距離が離れていても、
少年に対する気持ちは変わらず、
無償の愛で少年を受け入れていきます。

 

 

大人になっていく少年、
無償の愛が変わらない木。

 

 

少年が生きていくために必要なものに対して、
木はできる限りの答えで、
少年に与えていきます。

 

 

大人になっていく人間と
変わらない愛で答えていく木の様子が
描かれている作品です。

 

 

旧訳と新訳のちがい

 

 

見た目はちがうの?

 

 

まずは写真を撮ってみました。

旧訳

 

新訳

 

ちなみに
旧訳の裏には、
シェル・シルヴァスタインさんと思われる写真も載っています。

ちょっと怖いですね。。

 

 

訳のちがいはここ

 

 

作品の絵は変わりありません。

大きな違いはやはり、訳の違いかなぁと思います。

 

 

明確な場面を紹介します。

 

 

少年が船をつくりたいといい、
木は僕の木を切って作ればいいと提案します。

 

少年は木を切って、
その木で船をつくって出かけていきます。

 

その後の部分の描写のちがいです。

 

 

(旧訳)

 

きはそれでうれしかった・・・だけど、それはほんとかな?

 

 

(新訳)

 

それできはしあわせに・・・なんてなれませんよね

 

 

旧訳は自分の身を削ってまで、
少年に奉仕する木の姿に

 

ほんとうにうれしいのか?

 

と問うことに対して、

 

そんなの幸せじゃないよね

 

というニュアンスの新訳です。

 

 

このちょっとした違いに、
無償の愛への考え方の変化が
読み取れるような気がして、
とても面白かったです。

 

 

もしも授業をするなら、

 

木の気持ちを考え、
少年への愛の姿、
その行動の想いをくみ、
自分はどう思うのか?

 

 

と意見を通わせ合うのも面白いなぁと思って
ニヤニヤしてしまいました。

 

 

デクの考察

 

 

旧訳、新訳ともに、
少年が大人なっていくにつれて、
求めていくものが変化していく様子と

 

 

木が少年に対する
変わらない愛の対比が
とても印象的でした。

 

 

もともと原題は英語で、
「The Giving Tree」だったそうです。
直訳は「与える木」ですよね。

 

 

それゆえか、私は、
木の無償の愛について考えさせられました。

 

 

旧訳のあとがきの一部に
こんなことも書いてあります。

 

 

ここで、もっとも重要かつ微妙な問題は、
この「与える」行為に、
犠牲の行為を見てはならないという一点であろう。

 

犠牲には悲劇的な感情が付きまとうのが常であるが、
リンゴの木が、
ただひたすら喜びだけを
見出していたことに読者は注目すべきである。

 

すなわち、
エーリッヒ・フロム同様、
シルヴァスタインにとっても、
「与える」事は、
あふれるような生命の充実を
意味しているのであって、
犠牲的損失を意味しなかった。

 

 

無償の愛って、
身を削るとか、
そんな自分を犠牲にする
レベルじゃないんだろうな
と感じました。

 

 

だとすると、新訳の先ほどの訳は
すこし決めつけのような印象を
私は感じてしまいました。

 

 

私は個人的に、
旧訳の訳し方が好みですね。

 

 

木のあふれる生命力、喜び、与える姿勢
を見習いたいと感じています。

 

 

まとめ デクのできること

 

 

この大きな木は
30国以上に伝わるベストセラーということで、
内容的な深さを感じました。

 

 

正直、私の解釈が、
どこまでお伝え出来たかはわかりません。

 

 

ただ、この本から考えた、

無償の愛とは?

与えることとは?

についての考察は
きっと自分の財産になると思います。

 

 

私は木のように、
無償の愛を与えられるかは、わかりません。

 

 

ですが、自分の経験を通して、
誰かの助けになったり、
その人の強みや
その人らしさが見いだせる
お手伝いができたらいいなと思っています。

 

 

同じように私が読書をして、
書いた記事もあるので、
ご覧になってくれたらうれしいです。

 

正解探しはやめる

工藤勇一さんの本をデク的に読んでみた

運動はメリットだらけ!

幸福への意図的な行動

 

読書系の記事も増やしたいですし、
上記の記事も少し追記するかもしれません。
お楽しみに。

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