正解探しはやめる

こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。

 

学校教育では、
問題文を読み、答えを出し、その答えが正しいかを考える。
という、正解を求める教育が一般的です。

 

ただ、今の時代、
何が正解であるかというのは、
わかりません。

 

 

幸せの答えは、
経済的に裕福なのか
友達がたくさんいることなのか
家族とともに過ごすことなのか

 

 

明確な答えはありません。

 

今日は「正解探しはやめよう」
ということについて
書いていきたいと思います。

 

 

目次

この考察は、読書から始まりました。

 

 

私は
「自分のアタマで考えよう」
という本を読んでいました。

 

自分のアタマで考えよう

 

その、「さいごに」の部分が印象的でした。
自分の考えることへの変化のきっかけになったのです。
抜粋して、紹介します。

 

高校時代、数学の勉強は、
「解答」「解法のヒント」まで見てしまってから、
「こういう問題は、こうやってとけばいいのね」と理解し、
その解法を暗記しました。

 

似たような問題がテストに出れば、
同じ方法でとけばいいのです。

 

私は数学を「考える科目」ではなく、
「知識を覚える科目」だと誤解していたのです。

 

(中略)

 

こんな勉強の方法では、
テストの点は取れても、
「考える力」は、
まったく身に付かないのだと
気づいたのは、
(恥ずかしながら)
社会人になって5年以上たってからです。

 

(中略)

 

現実の社会には、
誰かがあらかじめ用意してくれた解法が存在しない課題が
たくさんあると気がつきました。

 

私はそういった課題に取り組む必要がでてきて初めて、
「解法を知ること」と
「解法を考えること」
は異なることだと理解したのです。

 

(中略)

 

「知識」と「思考」をはっきりと分け、
「知識」を「思考」にどう活用するか、
ということを学ばないと、
「知識を蓄えるだけ、覚えるだけ」になってしまうからです。
そうなったら「考える力」はどんどん減退してしまいます。

 

抜粋はここまです。

 

この文章を読んで、
私も同じことをしてた!
と思ったわけです、

 

そして知識を
ただ貯めていただけの人になっている、、
と思ってしまったわけです。

 

 

自分を表現するには考えるしかない

 

 

私は知識欲があります。
知りたい気持ちが強くて、
知りたいものを知ることができると、
それで満足するパターンがいつものパターンです。

 

 

知識欲は満たされるので、
それはそれで楽しいですし、
有意義ではあります。

 

 

しかし、これからのことを考えると、
自分で考える力は、
とても重要なものになると思います。

 

 

世の中には、
数学の問題のように
はっきりとした答えがあるとは限りません。

 

 

答えはいくつもある。

その中で
自分が納得するものをいかに絞り出すか、
だと思います。

 

 

まとめ
これからどうしていくか

 

 

ということで、
読んだよかったなぁで
終わらしたくないと
私は思いました。

 

 

私は自分のアタマで考えることを
1つの習慣にしたいと思います。

 

 

今は調べてしまえば、
ある程度の情報を知ることができます。

 

 

私は、
考えることを放棄して、
知りたい情報を知り、
これが正解だ、
というように結論づけることで
満足していました。

 

 

でも、
ひょっとしたら、
周りの人が正解だと考える答えのまま
生きることに
窮屈さを感じているのかもしれません。

 

 

これからは、正解を探すことをやめます。
自分なりの答え(考え)を出していきたいと思います。

 

 

そのためにも、このブログ自体を
学んだことをアウトプットし、
自分の意見を発信する場にしたいと思っています。

 

 

よかったら私の考えを見ていただけたらと思います。

 

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休職、復職をなぜくり返してしまったのか

 

【考察】人前で話をするうえで大切なこと

 

 

これからも有意義な記事を書けますように精進しますね。

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