デクのこれまでと、今と、これから。
こんにちは。デクです。
新年度になると、なんだか、
個人的にフレッシュな気持ちになります。
改めて、
私、デクのことを紹介したいです。
ここ1年、私は
自分の気持ちの変化を、大きく感じました。
それは、
結果や周りを気にして、
動けなくなる過去から
今自分ができること、そしてこれから、
自分がしたいことを広げていきたい
という気持ちへの変化です。
今回の記事は、
私のこれまで、今、これからを、
1つの思い込みが、少しずつほぐれていく
経緯と共に書いています。
自分の気持ちがわからなくて、
自分を消耗している気がして辛い、
そんな人の心に、
感じるものがあれば幸いです。
目次
結果が良くなければ、認めてもらえない思い込み
私には、
1つの大きな思い込みがありました。
それは、
結果が良くなければ、
周りから認めてもらえない、
というものです。
その考えが強く刻まれたのは
私が高校生の時です。
通う高校は、
いわゆる進学校。
求められたのは、
学業の成績が良く、
卒業後には国公立の大学進学、という実績。
だったように感じます。
そのため先生方は
成績を伸ばすため、
大量の予習復習を課していました。
生徒達は、
成績が良くない時や、
課題を出せない時、
授業中、問題に答えられない時には、
叱責を受けました。
不登校のきっかけ
ある時、私は、
友達からの無視と
先生の叱責が重なり、辛くなって、
学校に行けなくなった時がありました。
友達からの無視は
自分の存在が無くなり、
まるで空気のような錯覚をし、
先生からは、
授業中に、問題に答えられず、
「学ぶ資格がない」という
怒気に満ちた言葉を、受けました。
一連の流れが数日続くと、
さすがに精神的に、まいってしまいました。
しばらく学校に行けなくなってしまいました。
登校復帰は焦りから
私の中で、
「学校に行けなくて、
このままでは留年してしまう。」
そんな焦りが、でてきました。
とにかく学校に行くしかない。
でも、
友達から無視もされたくないし、
先生には怒られたくない。
そんな考えを解消する案として、出たのが、
とにかく良い成績を残すこと、でした。
成績が良ければ、
先生に叱られることもない。
成績によって、
別の友達ができるかもしれない。
そうすれば
無視されることも、
気にならなくなるだろう。
という考えです。
実行に移しました。
少しずつ登校を再開し、
授業を受けつつ、
遅れた分の自学に励みました。
特に叱責を受けた教科は、必死でした。
もう怒られたくない、
それが原動力です。
結果的に
叱責を受けた教科は満点。
先生から怒られることもなくなり、
1つの恐怖が薄れました。
その後、
無視を受けた友達から、
謝罪を受け、
無視されることもなくなりました。
不思議な流れでした。
本当は、いろいろな方々のフォローが
あったのかもしれません。
しかし、
私には、周りで何があったか、
わかりませんでした。
経験したのは、
結果を出すことで、
周りの状況が変化した、ということ。
私は、
とにかく結果を出せば、認めてもらえる。
という考えを、強化してしまいました。
1つの憧れ、学校の先生
なんとか大学に進学し、
「大学卒業後に、先生になりたい」
と思うようになりました。
その理由は、
小・中学校時代の学校生活は充実感があり、
対照的に、高校時代は苦労もあったこと
それをふまえて、
「良い事もそうでない事も、
1つの経験として受け入れ、
先生になれば、
その経験も活かすことができる。」
そう思うようになったからです。
結果的に
高校時代に怖かった先生の教科、
それが1番成績が良く、
その教科の教員免許を取得できました。
怖かった先生と
同じ教科を教えることになりました。
少し気持ちは複雑でしたが、
ある意味、
反面教師にしようと思いました。
それよりも
希望していた先生になれたこと。
うれしかったです。
やっぱり結果なの?
先生になって、
生徒とのかかわりは
とても楽しいものでした。
授業中、集中する表情。
ひらめいた時の表情。
少し話が脱線し、笑いあう時間。
正解して生徒がガッツポーズしたり、
生徒同士がハイタッチする姿。
そんな様子を見ると、うれしくなりました。
しかし、
授業や学級担任の仕事は
楽しいものの、
どうしても、
負担感が強いものがありました。
それは部活動です。
当時の部活動指導は、
とにかく時間の拘束を強く感じました。
どうしてそんなに時間をかけるのだろう?
そんな疑問がわきます。
自分が出した答えはシンプル。
「勝ちたいから。」そう感じました。
そう感じたのは、
部活の大会で負けた時に、
その後の懇親会で保護者から、
厳しい言葉を受けた、ことから始まりました。
「ダメな指導をする先生」
そんな言葉を耳にしました。
その時です。
高校時代に刻まれた思い込みが、
再びぶり返すようになりました。
「部活で結果をださないと、だめなのか?」
半ば、躍起になっていたかもしれません。
先生になって、
楽しい授業、学級経営をしたかった想いは、
いつの間にか、
部活動で結果を出さねばならぬ、
と変化してしまいました。
苦しくなって休職、復職、退職
部活動指導に力を注ぐと、
結果は出ました。
優勝するとうれしかったですし、
周りも称えてくれました。
しかし、大会後はぐったりでした。
休日返上の部活動。
次の日はふつうに授業です。
ぐったりした体に鞭をいれていました。
一時的には乗り切れましたが、
積もり積もって5年目のことです。
限界を迎えました。
身体も心も気力がなくなり、
何も手につかなくなりました。
どうしようもなく、医者に行くと
適応障害と診断を受け、休職をしました。
そこから、
リハビリ、復職をするものの
再休職、再復職を繰り返しました。
症状は悪化し、
反復性うつ病という診断に
変化しました。
8年の間、
休職、復職を繰り返し、
最終的には、
もうこれ以上迷惑をかけられない、
という考えから、
退職することになりました。
ふさぎ込む気持ち
退職後、正直少し、ホッとしました。
もう迷惑をかけないですむ。
短期的な安堵感かもしれません。
案の定
気持ちが落ち着いたのは、
わずかな期間のみでした。
時間の経過と共に、
退職した自分に対して、
否定感がわきました。
結果がでないと認めてもらえない
という思い込みにより、
退職した自分を、
責めるようになったのです。
ふさぎ込む日が続きました。
個別に教えるきっかけ
そんなある日。
知り合いから、
子どもの勉強を教えてほしい
という話を受けました。
私の中で不思議と迷いなく、
自分がそれで役に立つのなら、
と、教えることになりました。
学校の指導とは違い、
ひとりの子をじっくりと見ます。
子どもの進行状況をみて、
問題を提示します。
解けたら進み、
難しいようならば、
どこがわからないのかを、把握し、
再提示します。
教えていると、
私に気づきがありました。
「結果を出させなきゃ」
と焦っていた時と違って、
いつもよりも、
しっかり子どもと向き合って、
取り組めている感覚、に気づいたのです。
そんな取り組みを1,2か月続けると、
教えた子の成績が、伸びていました。
もう一人教えることに
縁があり、
もう一人教えることになりました。
その子は受験生。
学習に対する無力感を感じているようで、
「正直、成績を伸ばすのは難しいかも。」
と私は思いました。
合格という結果が必要ならば、
グイグイと引っ張っていくべきかな?
と、一瞬、考えがよぎりました。
でも、自分の中でふと浮かんだ
「その子には、その子のペースがあるから尊重する」
という考えを優先しました。
教えている目の前の子にとって、
合格よりも、大切なことがあるのではないか?
そんな直感によるものです。
私は
その子の結果がどうなるかは一旦脇におき、
解ける問題を、
1つ1つ増やしていくことに集中しました。
取り組むこと2か月。
無事にその子は、合格することができました。
本当に大切にしたかったこと
その子から合格報告を受けました。
報告後、私は安堵していると、
その子から
「また勉強を教えてほしい」
という言葉を受けました。
私は、その言葉に
「学びたい」という意思を感じて、
合格以上の喜びを感じました。
「あっ、そうか。
自分は、結果を出す、出さない、
ということよりも、
学びに向かう意欲を、
高められるようになりたいのかな。」
と思いました。
それが、自分が指導していく上で
本当に追求したかったことではないか?
と感じたのです。
私は、結果を出すことに囚われ、
短期的な視点になり、
自分にとって、
大切なものを見失っていました。
今は、
目先の結果は一旦脇におき、
出来るところから、一歩ずつ広げていきたい
そう思うようになってきています。
子どもの学びを支援していく
私が今できることの1つです。
事実を受け入れ、確かな一歩をふみだす
合格報告を受けた子は、まもなく入学式です。
今でも勉強を教えていますが、
入学後は、新たなスタートをきっていきます。
学ぶ喜び、わかる喜びを
少しずつ感じているので、
応援の気持ちと共に、
見守っていきたいと思います。
私自身、ふさぎ込みだった自分の気持ちを
広げてもらえるきっかけになりました。
教員になったけど、
休職、復職、退職を経験した事実。
この事実は変わらずにあり、
まだ少し、思い出すと、にがく感じます。
受け入れるには、
もう少し時間が、かかるかもしれません。
ですがそれも
今できることを少しずつ広げて進んでいけば、
事実を受け入れた上で、
確かな一歩を踏み出していけると思っています。
今できることのもう1つ。
このブログや音声を通じて
私が大切にしていることを発信していきたいです。
そしてそれが、
受け手の方の力になれば、
とてもうれしいです。
これからもよろしくお願いします。