自分の想いを1つ見つけられました
こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。
今回はエッセイ的な内容です。
気軽に読んでもらえたらうれしく思います。
よく文章を書く時は、
断定、主張などをハッキリさせた方がいい、
ということを耳にします。
学校の授業で、
意見文などを書く時もそうでした。
特に、
このようなブログなど発信する場合は
主張やメッセージが、
はっきりした方がわかりやすいですよね。
読んでいる方も理解しやすくて、
主張者側もスッキリします。
ですが私は、
なんだか違和感を感じるのです。
目次
ハッキリできない複雑な事情もありうる
違和感をなるべくクリアにしたくて書きます。
ハッキリ伝えることの良さを知りつつも、
私は曖昧さも十分あってもいいんじゃないか、
と思っています。
なぜなら、人には複雑な事情があって、
その複雑さ自体を、自分がわからなくなっている
ということがあるからです。
場合によっては、
ただただ、なんかおかしいなぁと
感じ続けていることだってあります。
そんな複雑さの中にいると、
それが苦しくて、
ふと目につく新しい事にときめいて、
夢中になることもあります。
それはそれでいいかもしれませんが、
今ある複雑な事情の中で
あぁでもない、こぉでもないと、
模索したり試したりことも
意味のある事と言えるのではないでしょうか。
言葉にならない想いもある
かくいう私も、
そんな複雑さを感じたりしています笑
そんな中、最近感じることは、
ブログの記事を投稿しなきゃ、
という気持ちに追われると、
途端に文字が滞ってしまうということ。
でも誰かに伝えたい何かが見つかると、
スラスラと文章が書けることです。
そういえば、学級通信などの、
おたよりを書く時もそうでした。
事務的な連絡を書く時は、
少しおっくうで苦労したけど、
生徒の成長を見たり、
感動したことを書く時は言葉があふれて、
スラスラと書けたりします。
そんな通信の時こそ、
生徒はいつもより読んでくれていたし、
保護者の方も喜んでくれることがありました。
ありがたい出来事
とてもありがたく感じた出来事がありました。
それは、自分が書いた通信を見た保護者の方が、
わざわざ私あてに電話をくれて、
「通信を読んでとっても感動したんだよ。
だから感動したことを伝えたくて、
どうしても電話したくなったんだ」
と言葉をかけてくれたことです。
私はとてもうれしくて、
すごく心に残っています。
おそらく連絡をくれた方も、
感動した想いを伝えたいと思って、
電話をくれたのだと思います。
それは言葉というより、
気持ちを伝えたくて、してくれたこと。
言葉にならない素敵なギフトのように感じました。
1つのテーマに気づけました
このブログの趣旨とは別に、
私なりのブログのテーマがありました。
それは、
言葉にならない想いを言葉にしたい、
ということでした。
自分は自分のことをわかっているようで、
実はわからないこともあったりします。
ましてや、自分ではない、誰か相手と、
置き換えてもそうかもしれません。
そんなわからないことを少しでも言葉にできたら、
自分への理解、相手への理解が進み、
私はうれしくなります。
状況によっては、
言葉にすることが、
難しいこともあるかもしれません。
そんな中、想いをブログに書くことが、
私にとって1つのアプローチになっています。
腰を据えてじっくりと、
今後も言葉を伝える活動を
取り組んでいきますね。