諦めた過去と、諦めたくない未来
こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。
このブログは、
自分の可能性に光りがあたるようにと想いを込めて、
陽のあたる場所としています。
自分のこれからに希望をもって、
前向きに生きる姿ってかっこいい、
そんな姿のお役に立てられたらと思っています。
これらの姿は、
私にとって1つの理想の形ではありますが、
私自身、自分の可能性を信じないことには、
話が始まらないと思っています。
今回の記事は私自身、
自分の可能性を信じていくための
1つの記録のようなものです。
よかったらお付き合いください。
目次
無理矢理、諦めなきゃいけなかった経験
私が自分の可能性を信じることを
強く意識するようになったのは、
自分を信じらなくなったショックが
大きかったからだと思います。
大きなショックがあったのは、
今から約10年前のことです。
教員として、働いていた私は、
適応障害からうつ病に発展し、
休職をすることになりました。
当時、中学3年生の担任をしていた私は、
自分が休職することで、
たくさんの迷惑をかけてしまう、
という申し訳なさでいっぱいでした。
休職をしている間も、
早く現場に戻って、
3年生を卒業式で送り出してあげたい、
そんな想いでいました。
しかし、それに反して、
自分の容体はなかなか良くなりませんでした。
結果的に、医師、管理職の先生方との相談の上、
担任を代わりの先生に託し、
私は3年生を卒業式で、
送り出すことができずに終わってしまいました。
この時、私は、
諦めたくないことであっても、
諦めなくちゃいけないことがあるんだ、
と強烈に実感しました。
とてもショックな出来事でした。
ショックな経験の最大の問題点
前ほどではありませんが、
今でも振り返ると、
悲しい気持ちになります。
ですが、当時の医師や管理職の先生方の判断は、
仕方ないことだと納得しています。
それよりも、本当の問題は、
この出来事で経験した心の痛みによって、
自分のこれからの可能性を、
諦めてしまうことでした。
休職から復職したとはいえ、
私は、なかなか想うように
自分の力を発揮できていると思えず、
それでも、自分に納得させようと必死でした。
挑戦しても叶わないショックの痛みを
再び感じるのが怖かったのです。
いつしか、簡単なあきらめがラクであると思い、
安易なあきらめが増えていったように思います。
本心を諦めてしまっていいのか
諦めは1種の自己受容にも
つながることもあります。
ですが、
私は諦めに慣れていくことの怖さも、
あるのではないかと思うのです。
諦め癖がついて、
自分の本心まで、
諦めてしまっているのではないか?と。
それって、
すごくもったいないことだと思うんです。
これまでの過去に諦めはあっても、
これからの未来は諦めたくない、
そう思うようになりました。
これからできること
いきなり途方もない未来を夢見ることは、
かえって現実逃避になってしまいます。
未来の可能性を信じるためにできること、
それは、今できる1つ1つのことを
積み重ねていくことだと思います。
これは過去の諦めの経験による、
自身の諦め癖を、
やわらげていくことにもつながります。
たとえ、
どんなに小さなことであったとしても、
1つ1つでいいんです。
それが自分の本心を
救っていく方法ではないのでしょうか。
私自身、今その過程の
真っ最中であるといってもいいと思います。
1つ1つのことを大切にしていきながら、
自分の可能性を信じていきたいですね。
今回の記事で何か感じるものがあればうれしいです。
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