本当の厳しさには恐怖なんてない

 

こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。

 

 

 

 

私は教員の経験がありますが、
子どもの頃の私にとって、
先生は、家族以外の身近な大人でした。

 

 

 

 

教員になってからも、
たくさんの先生と出会いました。

 

 

 

 

 

そんな出会いを振り返ると、
怖い先生や厳しい先生、
という捉え方が、

変化していることに気づきました。

 

 

 

 

 

今回は、怖さと厳しさについて、
生徒時代の思い出と、
教師時代の思い出を振り返りながら
書いていきます。

 

 

 

 

 

目次

結論

 

 

 

 

厳しさと怖さ(恐怖)について思う事。
最初に結論から、書きますね。

 

 

 

それは、

本当の厳しさの中には、
恐怖なんてなくて、

あるのは、相手の成長を願う想いである。

ということです。

 

 

 

 

この考えになる以前、
私は、怖い先生と厳しい先生の区別が
できていなかったと思います。

 

 

 

 

理由は、
おそらく学生時代の記憶が
関係しているからだと思います。

 

 

 

 

生徒時代に出会った怖い先生

 

 

 

行動の動機には恐怖があった

 

 

 

 

高校時代、私には
とても怖い先生がいました。

 

 

 

 

普段から怖いわけではない、
のですが、
授業で問題を解く時、
答えを間違えると、
怒声をあげ、すぐキレる
そんなイメージでした。

 

 

 

 

私は完全に委縮していたと思います。
答えを間違って怒られたくない。
そんな想いでした。

 

 

 

 

ある意味、それが動機になって、
必死に勉強しました。

 

 

 

 

その教科の成績は、
学年でもトップクラス。

 

 

 

 

結果的には、
その教科の教員免許まで取り、
私は教員となったわけです。

 

 

 

 

なんということでしょうか笑

 

 

 

 

先生になって

 

 

1つの決意と反面教師のマイルールをつくる

 

 

 

 

教員になった私は、
1つの決意をします。

 

 

 

私が受けた先生のようには、
絶対にならない、という決意です。

 

 

 

 

高圧的な態度をとらない
間違ってもキレない
怒声をあげない

 

 

 

 

など、私が高校時代受けた
教育の反対。
反面教師のマイルールです。

 

 

 

 

恐怖で生徒を導くのではなく、
自分の方法で指導していきたい。
そんな想いがあったと思います。

 

 

 

 

初めての学級経営でつまづく

 

 

 

 

教員になって、
初めて学級をもった時です。

 

 

 

学級を統率することは、
なかなか容易ではありませんでした。

 

 

 

 

学校生活が始まる4月。

 

生徒は、
「担任の先生は、どこまでだったら怒るのか」
のラインを見極めるような行動を
とる時があります。
(アドバルーンと言ったりする人もいます)

 

 

 

 

具多的には、
話を聞く場面で、
友達とじゃれる。
指示と違うことを
先生に気づかれないようにする。
といった行動です。

 

 

 

 

私の目の前でもそれがありました。
その時、私は、
指導するか躊躇してしまいました。

 

 

 

自分が決意したルールに反する
と思ってしまったからです。

 

 

 

 

マイルールに縛られて導けない

 

 

 

 

 

躊躇したところで、
自然と学級の統率が、
とれるわけではありません。

 

 

 

 

少しずつ、
生徒の中でゆるみを感じ始めました。

 

 

 

 

私は、
「このままでは、
私も生徒にとっても、良くない」
と思いました。

 

 

 

 

そこで、
「ルールに縛られて、

伝えたいことを伝えないのはだめだ。指導しよう。」
と決めました。

 

 

 

 

でも、
どのように伝えたらいいんだろう、
と悩んでいました。

 

 

 

 

今度は、とっさに声を荒げる

 

 

 

 

考えがまとまらぬ中、後日、
私が学級で話をしている時です。

 

 

 

 

私は、あきらかに、
その場では不適切と感じる態度を

目の当たりにしました。

 

 

 

 

 

あっ、と思い、その瞬間、
今度は躊躇なく指導しました。

 

 

 

 

とは言っても、新米先生。
指導には慣れていません。

 

 

 

 

感情的になっていたし、
その行動は良くない、
ということも、
伝わっていたか、わかりません。

 

 

 

 

しかも、
学級全体の前で声を荒げていました。

それが怒声と言われれば、
そうかもしれません。

 

 

 

 

指導が終わった後の教室の空気は、
ピリッとしていて、
いつもと違うのは、明白でした。

 

 

 

 

 

 

その後チャイムがなり、
休み時間に入りました。

 

 

 

 

 

自己嫌悪の私に生徒がかけた言葉

 

 

 

 

 

私は、
「声を荒げて、

生徒に怒鳴ってしまったなぁ」
落ち込みました。

 

 

 

 

「結局私は、
自分が否定していた指導を
してしまったのではないか。」と。

自己嫌悪でした。

 

 

 

 

 

そんな想いで、
授業おわりの片づけをしていると、
1人の生徒が、私の所にやってきました。

 

 

 

 

その子は、私に声をかけました。

 

 

 

 

「ダイジョブっすよ。先生。みんなわかってますから。」

 

 

 

 

 

その言葉で、
私は、なんだか肩の荷が
下りたように感じました。

 

 

 

 

 

その後、
改めて私は、学級全体に、
感情的になったことを謝りました。

 

 

 

 

そして、
学級の安心安全づくりのための協力を
呼びかけました。

 

 

 

 

 

私が謝っていた時の
子どもたちは、
とても柔らかい表情をしていました。

 

 

 

 

 

一緒に良いクラスにしていこう、
という気持ちにもなってくれたと思います。

 

 

 

 

私の気づき

 

 

 

 

この経験をふまえて、
気づいたことがあります。

 

 

 

それは、
指導する立場において、
厳しさも必要だということでした。

しかし、それは恐怖ではない。
ということも含めてです。

 

 

 

 

 

そんな気づきがあった後
改めて、周りの先生をよく見ると、
厳しい指導をしている、
ある先生がいました。

 

 

 

 

でも、その先生は、
生徒への信頼を得ています。

 

 

 

 

さらに、よく観察すると、
厳しいとも思える声でも、
ちゃんと相手にとって納得のある指摘であったり、
相手のことを思っての言葉である、
ということに気づきました。

 

 

 

 

 

そして、
その課題に挑戦したり、
克服していく姿を見ると、
本気でほめていました。

 

 

 

 

 

「なるほど。厳しさって、
相手のことを本気で思った言葉なら、
伝わるものなんだ」

 

 

 

 

 

そのあたりから、
わかってきたように思いました。

 

 

 

 

 

 

おわりに

 

 

 

 

 

以上、私の経験をふまえて
書きました。

 

 

 

 

自分にとって、
恐怖ではないかと思う言葉でも、
相手のことを思っての言葉であれば、
きちんと伝わります。

 

 

 

 

たとえ厳しい言葉でも、です。

 

 

 

 

 

そして、
私が感じた、本当の厳しさは、

きっと、
先生と生徒の話だけでなく、
親子の教育にも、つながることだと思います。

 

 

 

 

 

恐怖は与えたくない、
でも相手のことを思ったときに、
本気で伝える必要がある、
と感じる場面もあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

ですから、この記事を通じて、
厳しさについて考える
機会になればうれしいです。

 

 

 

 

 

とはいえ、
実際、どう伝えればいいのか迷ってしまう、
ということも、あるかもしれません。

 

 

 

具体的な内容は、
過去の記事にも書いてあります。
よかったらご覧ください。

 

 

 

リスペクトを意識して起きた5つの変化

 

子どもとのコミュニケーションで、デクが徹底していること

 

 

 

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