自分で事実を受け止めるための記事です
こんにちは。デクです。
デクってこんな人です。
3月をもって教員を退職した私ですが、
生活環境が変わって、
気持ち的にも焦っておりました。
少しずつ、
これからの見通しが見えてきており、
落ち着いてきています。
今回は、これからのことを考える前に、
どうしても、
そのままにしたくない気持ちがある、
と気づいたので、
そのことを書きたいと思います。
とても個人的な内容なので、
ためらう所もあったのですが、
良かったら読んでみてください。
目次
きっかけ
気づきがあったのは
先日、知り合いの方から、
「どうして教員をやめたのか?」
という事を尋ねられたことが、
きっかけでした。
その時、どうしてか、
「実は、次にこういうことをやりたくて辞めたんだ」
という事を言えなかったんです。
この理由につなげてしまったら
自分にとっては、
とても違和感を感じました。
なぜか、と考えてみると、
仕事に適応できなかった事実と、
その事実に対して感じた悲しみの感情を、
無理矢理押し込み、
次への希望に移し替えて、
自分を納得させようとしている、
と感じたからです。
「別に挫折なんかしてないよ。」
「悲しくなんてないよ。」
そんな風に強がっていたのかもしれません。
つまり、
挫折感、悲しみにフタをしている
感じがしたのです。
もしも、
純粋にやりたいことがあって、
希望に満ちた退職であれば、
おそらく今頃は、
ガンガンと行動し始めていると思います。
しかし実際は、
燃え尽き感が強く出て、
退職後の次の1歩が、
なかなか踏み出せずにいました。
なので、
私は、改めて、
中学校の教員という仕事に対応することが出来なかった。
という事実を、まずはしっかり受け止める必要がある、
と思いました。
続けられるのであれば、続けたかった
私の場合、
退職後、すぐに転職先をみつけて、
すぐに転職をしたか、
というとそうではありません。
実際は動けませんでした。
中学校の先生を続けられていたのなら、
続けていたかった。
という気持ちもありました。
でも、中学校の教員の仕事を
こなしていくことができませんでした。
ここを受け止めていきたいと思います。
これから、どうすると語る前に
今の気持ちを感じ切りたいと思います。
かけがえのない経験に感謝
ただ、
休職、復職を繰り返しながらも、
自分なりには精一杯取り組んだことで、
すばらしい経験もすることができました。
それは、学校でかかわった生徒達との思い出です。
これは、きっとこれからも変わらないものとして、
私に残っていくと思っています。
私にとってかけがえのないものですし、
心から感謝の気持ちでいっぱいです。
うまく適応できなかった事実もあれば、
自分なりに歩んできたことで、
かけがえのない経験もできた事実もあります。
そういったものが、
これから進んでいくエネルギーになっていくものだと
私は思います。